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​参拝したお寺

一. 清水寺

名称 音羽山清水寺

読み方 おとわやまきよみずでら

参拝日 令和4年3月6日

住所 京都府京都市東山区清水1丁目294

宗派 北法相宗

本尊 十一面千手観世音菩薩

由緒 創建は宝亀4年(778年)。奈良で修行を積んだ僧、賢心(後の延鎮)が夢で「北へ清泉を求めて行け」とお告げを受けたことに由来する。賢心はそれに従って北へと歩き、やがて京都の音羽山で清らかな水が湧出する瀧を見つけることとなる。この瀧は「音羽の瀧」と呼ばれ、今も清水が流れ続けている。 二年ほどたち、鹿狩りに音羽山を訪れた坂上田村麻呂が音羽の瀧で賢心と出会う。賢心は坂上田村麻呂に観音霊地での殺生を戒め、観世音菩薩の功徳を説いた。その教えに深く感銘を受けた坂上田村麻呂は後日、十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けた。

創健者 僧 延鎮 (開山) 坂上田村麻呂 (仏堂建立) という伝えがある

札所 西国三十三所第十六番

アクセス 京都駅からバスで20分+徒歩5分

注目ポイント 清水寺は「古都京都の文化財」としてUNESCOの世界遺産に登録されている。 本堂は国宝に指定されており、その他も重要文化財に指定されている建築が数多くある。

≪部員コメント≫

観光地としても有名な清水寺に初めて参拝しました。坂上田村麻呂にゆかりのあるお寺ということに関連して、蝦夷のリーダーであった阿弖流為の石碑があったことが特に印象的でした。また、本堂を中心とした伝統的な建築を目にすることができると共に、車椅子の方に配慮を されたバリアフリーのお寺であることに感銘を受けました。 今まで参拝したお寺は天台宗や真言宗、臨済宗など、いわゆるメジャーな宗派のものが多かったのですが、今回は北法相宗と、なかなか馴染みのない宗派だったので(法相宗は高校日本史で少し耳にしたことがある)、他の宗派との関連性や、独自の歴史などを深く調べてみたいなと思いました。(尚志)

清水寺

≪部員コメント≫

梅雨の時期には非常に多くの観光客がアジサイを目的に参拝すると聞いて、6月にももう一度参拝したいと思った。

公共交通機関で現地へ向かうのは正直現実的ではないため、マダラ鬼神祭やあじさい祭りに行きたい方は自家用車での参拝をお勧めする。(K.R.)

​二. 楽法寺

名称 雨引山楽法寺(雨引観音と呼ばれることが多い)

読み方 あまびきさんらくほうじ

参拝日 令和4年3月8日

住所 茨城県桜川市本木1

宗派 真言宗豊山派

本尊 延命観世音菩薩

由緒 用明天皇2年(587年)創建。推古天皇が尊崇され、また光明皇后が安産を祈願したことから、安産子育ての霊場として有名になる。また嵯峨天皇が降雨を祈ったことでも有名。山号はこれより雨引山となる。

​創建者 法輪独守居士

札所 坂東三十三所第二十四番

アクセス JR水戸線「岩瀬駅」より市バスが運行している

バス停「大曾根」より徒歩40分(平日)

バス停「雨引観音」より徒歩20分(土日)

注目ポイント 「一に安産 二に子育よ、三に桜の楽法寺」とうたわれるほど、安産や子育ての寺として有名。また6~7月のあじさい祭りや4月のマダラ鬼神祭が有名。

楽法寺

​三. 鰐淵寺

名称 浮浪山一乗院鰐淵寺

読み方 ふろうさんいちじょういんがくえんじ

参拝日 令和4年3月20日

住所 島根県出雲市別所町148

宗派 天台宗

本尊 千手観世音菩薩・薬師瑠璃光如来

由緒 創建は推古天皇2年(594)。智春上人が浮浪の滝に祈って推古天皇の眼病を平癒されたので、その褒賓として建立された勅願寺である。出雲を訪れた慈覚大師(円仁)の薦めで日本最初の延暦寺の末寺となる。 出雲大社との関係の深い寺院であり、別当寺を務めたものの、江戸時代前期以降は関係が希薄になっていき、勢力も衰えていくこととなった。 隠岐に配流された後醍醐天皇とも関係を持ち、ご宸筆の願文が重要文化財に指定されている。

札所 中国三十三観音25番、出雲観音3番、出雲國神仏霊場2番

アクセス バス停「鰐淵寺駐車場」から徒歩11分

注目ポイント 紅葉が有名。 国指定史跡「鰐淵寺境内」。他多数の重要文化財を含む文化財を所蔵するが、後醍醐天皇ご宸筆の願文を含む6件が盗難に遭ってしまった。 弁慶修行の地と言い伝えられ、弁慶が担いできたとされる釣鐘などが残されている。

≪部員コメント≫

出雲大社の別当寺だけあってか、境内には神社や狛犬などが現存している。特に面白いのは境内にある摩蛇羅神社の建築様式で、本殿は千木・鰹木を持たない大社造だが、拝殿の位置にあるのは方形造の常行堂である。神社建築と仏事建築が一体となっているのは神仏習合の名残と見えて興味深い。 紅葉の季節は変わるのかもしれないが観光地として賑わっているというわけではなくて、むしろその静寂は古来の修験道の聖地としての厳かな雰囲気を伝えている。(ヤマモト)

鰐淵寺

≪部員コメント≫

おそらく出雲地方で最も大きな寺院のひとつである。境内の八万四千仏堂に奉納された多数の仏像からも、出雲地方の各地に見られる一畑灯籠からも、多くの人が信仰するこの地方の中心的な寺院といえるだろう。 およそ1300段の階段を上った先の境内からは、国引き神話に登場する2つの山、伯耆国大山と石見国三瓶山を見渡すことができる。こう見渡すと、古代の人々の想像力に感動するとともに、その壮大な景色は目の薬師と言われるだけのことはあると納得せざるを得ないものだった。 ところで、この一畑寺に巡拝本部を置く「出雲国神仏霊場」は出雲大社をはじめ出雲国から伯耆国大山を範囲とした霊場巡礼で、神仏・宗派にかかわらず出雲周辺の主要な寺社20箇所を巡ることができる。もちろん、20箇所では私の考える主要な寺社をすべて巡れるものではないが、比較的気軽に寺社巡りができるだろう。ただし電車・バスの本数はたいへん少ないので注意。(ヤマモト)

​四. 一畑寺

名称 醫王山一畑寺(通称:一畑薬師)

読み方 いおうざんいちばたじ

参拝日 令和4年3月20日

住所 島根県出雲市小境町803

宗派 臨済宗

本尊 薬師瑠璃光如来(薬師本堂)

由緒 創建は寛平6年(894)。漁師の与市が海中から薬師如来像を引き揚げて本尊とした四間四面のお堂が一畑寺の起源である。その後、与市は比叡山延暦寺に赴いて出家し、補然と名乗る。夢枕に立った薬師如来のお導きで与市の母の盲目が治ったことから目の薬師として知られるようになった。 もと天台宗であったが、後に臨済宗の寺院として再興された。

札所 出雲國神仏霊場第3番、出雲十大薬師霊場第1番、出雲観音霊場特別札所、中国観音霊場第26番 、百八観音霊場第31番

​アクセス バス停「一畑薬師」から徒歩10分

注目ポイント 『ゲゲゲの鬼太郎』などで知られる漫画家・水木しげるの幼少期に、彼に妖怪やお化けの話を聞かせた「のんのんばあ」は一畑寺の熱心な信者であり、水木少年を連れて一畑寺にたびたび参詣していたことから、境内に「のんのんばあとオレ」、境内・境外各所に「目玉おやじ」のブロンズ像が設置されている。

一畑寺

​五. 万松院

寺名 金碧山万松院

読み方 きんへきざんばんしょういん

参拝日 令和4年11月12日

住所 長崎県対馬市厳原町西里192

宗派 天台宗

本尊 如意輪観音

由緒

元和元(1615)年、対馬国府中藩第2代藩主である宗義成が父・宗義智の菩提のために松音寺を創立し、7年後に万松院に改号する。寛永12(1635)年に臨済宗から天台宗に改め、正保4(1647)年に現在の所に堂宇を造営し、山号を鐘碧と命じた。寛文3(1663)年にかねて招請していた円純法印が高良山から普山して開山となる。幾度かの被災ののち、現在の本堂は明治12(1879)年に宗重正の寄進で建てられた。

アクセス 厳原港から徒歩15分

​注目ポイント

対馬藩主宗家墓所(国史跡)

大杉(長崎県指定天然記念物)

三具足(対馬市指定有形文化財) など

≪部員コメント≫

堂内には皇室より下された後水尾天皇皇女の書や、朝鮮国王から寄贈されたという三具足などがあった。日本・朝鮮をつなぐ場所としての対馬、さらにつなぐ者としての宗氏の立場が見てとれるようである。 国の史跡に指定されている宗家の墓所は、日本三大墓地のひとつ(ほかは金沢の前田藩墓地、萩の毛利藩墓地)である。ここには19代(府中藩初代)宗義智公以降の藩主、10代貞国公、および妻子らの墓があり、132段の石段と樹齢1200年という3本の大杉によって生活の場と隔絶した荘厳な雰囲気が保たれている。以前、松江の松平家墓所である月照寺へ行ったことがある。そこでは歴代藩主の墓の前に鳥居が建てられており神道と仏教の混合を見たが、万松院の墓所はより仏教的であった。(ヤマモト)

香椎宮

≪部員コメント≫

 寺社研究会と関係ないところで国分寺について学んで日本の寺院について少し詳しくなったところで来てみたのだが、何が良いってまずはその大きさ。大阪といえば日本の中でも指折りの大都会であるが、そんな街でビルに交じって五重塔が見えてくる!

 門の中に入ってみると、やはり塔に目を奪われる。鉄筋コンクリート造だそうだから、これからは火災にも地震にも耐えて残っていくことだろう。  これは個人的な話だが、金銅に置かれている本尊の救世観音菩薩は昭和期に平櫛田中の指導で作られたものらしく、本人の作というわけではなさそうだが、図らずも推し作家の息がかかった仏像に巡り合えたのも感動。(ヤマモト)

​六. 四天王寺

寺名 荒陵山 四天王寺

読み方 あらはかさんしてんのうじ

参拝日 令和4年6月26日

住所 大阪市四天王寺区四天王寺1-11-18

宗派 和宗

本尊 救世観世音菩薩

由緒

崇仏論争に始まるとされる蘇我氏と物部氏との争いにおいて蘇我氏側についた聖徳太子は、四天王像を作り戦勝祈願をした。そして蘇我氏勝利に終わった数年後、593年に四天王寺が建立される。蘇我馬子の飛鳥寺と並び、日本最古の寺院のひとつといえる。 たび重なる火災やその他の災害、そして大阪大空襲によって古くからの建造物はほとんど残っていないものの、四天王寺式伽藍配置を伝えている。

札所

新西国三十三箇所第1番 四天王寺、ほか多数

アクセス

JR西日本・Osaka Metro「天王寺駅」から徒歩約12分、ほか

注目ポイント

四天王寺式伽藍配置は古い形式をとったもの(飛鳥寺式が最古)で、その特徴は釈迦の遺骨(仏舎利)を収める塔を重要視している点である。時代を下るにつれて塔は中心から外れていき他方で金堂が中心に据えられるようになっていくのだが、四天王寺の伽藍配置はまだ塔が中心である。

西側には石鳥居が建っている。これが石鳥居としては最古のものだそうだ。

また、日本三舞台のひとつに数えられる石舞台を持つ。他のふたつは大阪・住吉大社のものと広島・厳島神社のものである。ちなみに厳島神社の舞楽は、平清盛によって四天王寺から伝えられたものだという。

香椎宮

​七. 日頼寺

寺名 大雲山日頼寺

読み方 だいうんさんにちらいじ

参拝日 令和4年12月29日

住所 山口県下関市長府侍町1-10-1

宗派 臨済宗

本尊 阿弥陀如来

由緒

もとは瑞雲上人の開山と伝わる天台宗の小比叡山極楽寺であり、これを天正年間に毛利秀元が再建した際に臨済宗とし、毛利元就の法号から大雲山日頼寺と改称した。明治2年(1869)に廃寺となるが2年後に再興されている。

アクセス

サンデン交通「松原」バス停から徒歩7分

注目ポイント

境内に仲哀天皇殯斂地が所在する。仲哀天皇は熊襲征伐のため橿日宮(福岡市・香椎宮)に大本営を敷いていたが、神託を信じなかったために崩御する。その遺体を武内宿祢が下関まで運んで仮の殯(もがり)をおこなったのがこの地だとされていて、宮内庁の管轄である。

≪部員コメント≫

先日、寺社研で香椎宮へ参拝したばかりであり、仲哀天皇殯斂地についても少し前に知ったところだった。崩御の地である香椎から下関の殯斂地、さらに大阪・藤井寺市の天皇陵と、仲哀天皇は死後に遺体が転々とさせられている。なぜ福岡で殯をするのではいけなかったのか、なぜ福岡や下関に埋葬するのではいけなかったのかと考えてみるのも面白そうだ。(ヤマモト)

≪部員コメント≫

旅のツレが司馬遼太郎好きで是非行きたいとのことだったので連れて行ってもらうことにした。おしゃれな細道を上っていったところに寺はあり、山門を抜けると巨大な寄棟造の法堂と美しい反りを見せる入母屋造の仏殿が私たちを迎える。まさに寺院建築といった雰囲気である。境内には高杉晋作の騎馬像が設置されており、私たちの他にも歴史好きの参拝する様子があった。(ヤマモト)

​八. 功山寺

寺名 金山功山寺

読み方 きんざんこうざんじ

参拝日 令和4年12月29日

住所 山口県下関市長府川端1-2-3

宗派 曹洞宗

本尊 千手観音菩薩

由緒

開山は虚庵玄寂。元応2年(1320)の仏殿建立に次いで、嘉暦2年(1327)に臨済宗の長福寺として創建された。のち後醍醐天皇の勅願寺となる。大内氏の庇護を受けるが、大内氏が衰退したのち毛利秀元が再興し、曹洞宗とした。元治元年12月(1865年1月)、この地で高杉晋作らが挙兵したことでも知られる。

札所 

中国三十三観音霊場第19番

山陽花の寺二十四か寺第9番

アクセス

サンデン交通「城下町長府」バス停から徒歩14分

注目ポイント

仏殿(鎌倉時代、国宝)

高杉晋作挙兵像

毛利秀元ら長府藩主の墓所

​九. 瑠璃光寺

寺名 保寧山瑠璃光寺

読み方 ほねいさんるりこうじ

参拝日 令和4年12月30日

住所 山口県山口市香山町7-1

宗派 曹洞宗

本尊 薬師如来

由緒

大庵須益の開山。文明3年(1471)、大内氏の重臣・陶弘房の夫人が、応仁の乱で討死した夫の菩提を弔うために安養寺を創建し、明応元年(1492)に瑠璃光寺と改称された。慶長9年(1604)、毛利輝元によって元々香積寺のあった現在の地に移転された。

アクセス

中国JRバス「山口県庁前」バス停から徒歩12分

注目ポイント

五重塔(国宝)

萩藩主毛利家墓所・香山墓所(国史跡)

≪部員コメント≫

山口県内に国宝の建造物は3点あり、住吉神社本殿、功山寺仏殿、そしてこの瑠璃光寺五重塔である。ここへ来る前日に住吉神社と功山寺には参拝したので、運良くも全てにお目にかかることができた。瑠璃光寺は山のふもとに立地しており、五重塔と後ろの大蔵山の織りなす光景はまさに絶景というべきものだった。(ヤマモト)

≪部員コメント≫

雲樹寺には、正月ということもあって人も少ないわけではないにもかかわらず、今でも修行僧の息遣いの聞こえてきそうな深々たる空気が漂っていた。と思えば、境内にはミニサイズの仏像があちこちに坐していてかわいらしい。(ヤマモト)

​十. 雲樹寺

寺名 瑞塔山雲樹寺

読み方 ずいとうざんうんじゅじ

参拝日 令和5年1月2日

住所 島根県安来市清井町281

宗派 臨済宗

本尊 拈華微笑仏

由緒

孤峰覚明は比叡山、唐の天台山で学んだ僧で、雲樹寺をひらいたのち後醍醐天皇に招かれて諮問に答え、国済国師の号と天長雲樹興聖禅寺の額をたまわった。さらにそののち後村上天皇には三光国師の号を加賜されている。師を慕って多くの修行者が訪れる寺となり、天文から文禄期に伽藍の大修理がおこなわれたが、文政3年(1820)に火災に遭い境内の多くを焼失。江戸末期には再建が進み、往時の姿を取り戻した。

札所

中国観音霊場第17番

出雲国神仏霊場第12番 など

アクセス

イエローバス「雲樹寺入口」バス停から徒歩9分ほど

注目ポイント

日本最古の朝鮮鐘(国重要文化財)

後醍醐天皇宸筆の額 など

​十一. 清水寺

寺名 瑞光山清水寺

読み方 ずいこうざんきよみずでら

参拝日 令和5年1月2日

住所 島根県安来市清水町528

宗派 天台宗

本尊 十一面観世音菩薩

由緒

用明天皇2年(587)、暗い山から怪しい光が差し、尊隆上人がそこへ行って老人から観音菩薩像を渡されたことが安来清水寺の起源である。推古天皇5年(597)には詔勅で本堂が建立され斎田が施された。戦国時代に尼子氏と毛利氏の戦いに巻き込まれて焼き討ちに遭ってしまう。その後、毛利氏や松江藩主代々の庇護を受けて現在に至る。

札所

出雲国神仏霊場第11番

出雲国観音霊場第21番

中国観音霊場第28番

アクセス

駐車場有

イエローバス「清水寺」バス停から本堂まで徒歩20分程度

注目ポイント

本堂は国重要文化財。羊羹が名物。

≪部員コメント≫

島根で「清水寺」といえば安来清水寺を指す。と思っていたのだが、実際に参ってみると鳥取県ナンバーの車が多い。この地域は鳥取県米子市に接する安来市の中でもとくに鳥取に近く、たしかに鳥取県民にとっても「清水寺といえば安来」なのかもしれない。(ヤマモト)

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